『月刊ケアマネジメント』で連載している〈幸せのためのヒント〉。
4月号では、14歳のときに広島で被爆した、橋爪文(はしづめぶん)さんにうかがったお話を紹介しています。
50年の時を経てやっと被爆体験を語れるようになった心境、学びに飢えていた子ども時代、図書館とラジオを自分の“学校”にして学んできたこと、残された者の使命を感じた瞬間、60歳を過ぎてから海外をひとり旅しながら「反核・平和」を訴え続けてきたこと、その活動を通して得た「肌の色や言葉が違っても人間は世界中みんな同じ」という実感について。
多くのことを感じさせられたなかで、いちばんの驚きは、
「学校教育を受けていなくても、人はこんなにも立派に成長できるのか!」
ということでした。
もちろん、ご本人の努力や探究心があってのことですが、
「学校教育って、何だろう?」と考えさせられました。
文さんは知性と品格があり、気遣いも細やか。
エッセイを多数執筆し詩をたくさん制作していて、国内外に多くの友人がいます。
自由に歩けなくなったいまは、自分の部屋が活動拠点。
そこに、老若男女が訪れています。
時代に翻弄され学習機会に恵まれなかった文さんは、あらゆることを独学で習得してきました。
頭のなかは当時も94歳の現在も「なぜ? どうして?」でいっぱい。
疑問を本で調べ、自分なりに思考をめぐらせる。するとまた疑問が生まれて……と続く、
というのが学びのスタイル。
それに加えて、危険をかえりみず何でも体験してみる大胆さが、
文さんを輝かせ続けているのだと思います。
被爆により数々の病を患い、何度も手術を受けてきた文さんは、
「被爆以来、1日として健康体だったことはない」
と話します。
なのに、いつも希望を忘れず、楽しいことを探していて、朗らか。
目の奥に輝きが見えます。
その姿に、惹きつけられるのです。
印象に残った言葉は、
「なんにもなくてね、命だけがあったんですけど。1か月くらいはお水だけ。雨水を飲んでました、放射能だらけの、いま考えるとね。食べ物もなかったんですよ、草もないし。それでも生きてきましたから。人間の生きる力っていうのは、すごいと思いましたよね」
「飛行機が離陸したとき、いい気分でしたよ。フワッと機体が浮いたとき、『あぁ、これで私はひとりの人間になった、どこの国の者でもなく』って思いましたね。すべてから解放されて、自由になったと」
「人間はね、世界中みんな同じですから。言葉や肌の色が違ってもね。いろんな国 を歩きましたけど、悪い人はいなかったですからね、どこの国でもね。経済的に貧しい国では子どもに騙されたこともありましたけど、それはその子が悪いわけじゃなくて、生活環境がそうさせてしまったのだから。人を疑ったらキリがないから。信じるほうが楽しいですよ。相手を愛することですね、人間同士がね」
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