『月刊ケアマネジメント』で連載している「幸せのためのヒント」。
10月号では、“てのひらブックと紙モノ雑貨”がキャッチコピーのウェブショップ、mai works(マイワークス)の店主、中西万依さんに伺ったお話を紹介しています。
万依さんは大学卒業後の2007年から数年間、ひきこもっていました。
その間、苦しい時間から逃れるためにしていたのが、ハンドメイドの本づくり。
細々と続けているうちに、それが生業に。
mai worksは、ひきこもりの時間から生まれました。
「今の自分は、ひきこもっていたときに気づいたことの貯金で生きていると思うんです。人生において、あんなにも気づきに満ちた時間はないんじゃないかって思います。そのときにしか気づけないこと、そのときにしかつかみ取れないものがあるんだなって」
と、教えてくれました。
あなたという存在は、
他の誰ともとりかえることができない
「どうしたら社会の役に立てるのか?」
と、悶々とした気持ちでいる人は少なくないように思います。
万依さんもその一人でした。
ひきこもるようになった万依さんは、
「自分はなんにも生産してないし貢献もしてない」
「自分が存在するだけで社会に迷惑をかけている」
「この世から消えよう、どうやって消えようか」
と、ぐるぐると考えていたと言います。
これは、そんな万依さんが自分自身に、そして自分と同じような気持ちでいる人たちに贈ったメッセージで、母・水野スウさん(本連載9月号で紹介)と共同で製作した冊子『ほめ言葉のシャワー』の最後に掲載されています。
“誰かと比べられたり、何かができることを強いられたり、絶えずやらなきゃいけないことに追われる日々の中に、今あなたが生きているのだとしても。あなたがあなたであるという、その存在は、決して他の誰ともとりかえることができません。まぎれもないその事実に、あなたは気づいてくれているでしょうか。
生きることは、時につらく、苦しく、涙すること。それでもあなたは、それをくぐり抜けて、今ここに生きている。息をしている。それが、もう十分に、すごいこと。私はそう思っています。”
空気を読みすぎて、自分を見失っていた
では、なぜ万依さんはひきこもるようになったのか。
話は小学生の頃まで遡ります。
「目の前の人が望んでいることを推測してそれを当てにいくことが、小学生のときには癖になっていた」
という万依さんは、
「目の前に誰もいなくなったら、自分から言葉が何も出てこないんじゃないか?」
「自分は空っぽな人間だ」
と悩み、人知れず、恐怖や不安を抱えて生きてきました。
その不安を隠し切れなくなったのは、就職活動のとき。
「自分はこんな人間である、こんなことを誇れる」と言えるものが何も出てこなかったことにショックを受けます。
「ぐらぐらな土台の上に見せかけの“できる”を積み上げて、『自分は大丈夫』って言い聞かせてきたのが、もうこれ以上、ごまかせないという限界を迎えて、土台ごと全部バラバラに崩れ落ちた感じでした」
というのが、そのときの心境。
絶望と不安から摂食障害となり、就職活動を続けられなくなってそのまま大学を卒業。
次第に、ひとり暮らしをしていたアパートにひきこもるようになったのでした。
“社会の役に立つ”を前提としなくてもいい
万依さんは、ひきこもっていた当時、
「世の中が、“社会の役に立たない人はいる意味がない”みたいな空気にあふれていた」
「“社会の役に立つ”という前提でしか自分のことを見ることができていなかった」
と振り返ります。
時代の空気を素直に吸って、一生懸命、“社会”に自分を合わせようとしていたと。
でも今は、社会の風潮がどうであっても、社会から求められている個人の在り方でなくても、自分の存在を肯定し、自分のことを堂々と大切に思うことにしています。
それが、万依さんの軸になっています。
0コメント