『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)で連載している〈4つの視点から考える 幸せのためのヒント〉。
11月号では、特定非営利活動法人さんわーく かぐや (以下、かぐや)の前理事長で、今も利用者さんたちから「お母さん」と呼ばれて親しまれている、藤田慶子さんにうかがった話を紹介しています。
「かぐや」を立ち上げた経緯、統合失調症の長女との緊迫した日々や、障害のあるお子さんを育てているお母さんたちのために自宅で開いている「母の会」のことなど。
風と土、木々や草花の存在を感じて、太陽の光を浴びながら、自分たちの手で食べる物や道具をつくって暮らす--。
神奈川県藤沢市、善行駅近くの住宅街にある「かぐや」は、そんな生き方を体現している日中一時支援事業所です。
ここでは、障害などさまざまな事情から社会生活が困難になった人たちが、地域の人とつながって活動の場を広げながら、伸び伸びと過ごしています。
シングルマザーとして二男二女を育ててきた慶子さん。
長女の対応で大変だった当時、長女以外の子どもたちは、自立して家を出ていたり帰宅時間が遅かったりして、お母さまが亡くなって以後、慶子さんはほとんど長女と二人きりで過ごしていました。
わざと階段から転げ落ちたり、わざと頭を柱にぶつけて血を出したり、大声で泣きわめいたり、包丁を持ち出して刃を自分に向け、「死ぬ! 死ぬ!」と叫んだり。
何かにとり憑かれたように暴れる長女をどうにもできず、深夜に救急車を呼ぶこともあったため、パジャマを着て寝ることがなかったそうです。
当時、世間は“自分の子どもだから、介護するのは当たり前”という雰囲気だったと振り返ります。
長女との日々に疲れ果て、「死にたい」と思ったことも。
そんなときは呪文のように、「必ずいいことがある、必ずいいことがある」と自分に言い聞かせて、踏ん張っていたと言います。
「とにかく今日一日を過ごそう、そうすればこの先、必ずいいことがある」と信じて。
「かぐや」は、そんな状況から抜け出したいと思った慶子さんが、長女と自分が安らげる居場所をつくろうとしたことがきっかけで生まれました。
その長女は2014年、29歳のとき自ら命を絶ってしまったそうです。
ですが、長女とのかかわりは途切れたわけではありません。
「長女がいたからかぐやを始めることになって、つらかった時間も経験もすべて、今に生きている、つながっているんです」
と、慶子さんは教えてくれました。
「母の会」も、長女とのことがあったからこそ生まれたもの。
自身の経験から、「障害のあるお子さんを育てているお母さんの力になりたい、お母さんが元気でないと、子どももほかの家族も元気にならないから」という想いを強くしていった慶子さんは、2年ほど前から自宅で、「かぐや」利用者のお母さんたちが集う「母の会」を開いています。
気兼ねなく、不安や悩みなどを打ち明け合いながら、息抜きできる場です。
見学させていただいたとき、参加者の一人が、こう話していました。
「ここで思いっきり、愚痴やつらかったことを吐き出していくと、家ではニコニコしていられる、子どもや夫に対して優しくなれる」
慶子さんは、言います。
「みなさん、よく言うんです、『離小島で誰もいなかったら、いくら子どもが叫んで暴れても全然、気にすることはないんだけど』って。隣近所に申し訳ないという気持ちがすごくあって、窓を開けることもできないと」
「障害がある人がその辺で走ったり暴れたりしていても、世間が『あっ、なんか騒いでる、なんか暴れてる、ぴょんぴょん飛んでる、でもそれは何でもないこと、いつものことだよ、そういう子なんだよ、別に危害を加えるわけじゃなくて、暴れたいわけじゃなくて、体が勝手に動いてしまうんだよ』という目で見てくれたら、お母さんたちはかなり楽になれると思います」
「長男に『かぐや』の運営をすべて任せて、『これからは自分のやりたいことをしよう』と思ってはいるものの、やっぱり、ここに来てしまうんですよね。みんなの顔を見るとホッとするので」
と、嬉しそうに話していた慶子さん。
その“ホッとする”感じは、「かぐや」を訪れて、個性豊かな利用者さんたちと一緒に過ごしてみるか、ドキュメンタリー映画『さんわーく かぐやのかぐやびより』を観てみると、よくわかります。
つらかった過去を振り返りながら、胸の内を語ってくださった慶子さんに感謝。
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