“反核・平和 海外一人行脚” で核廃絶を訴え続けてきた橋爪文さん
『8月6日の蒼い月〜爆心地一・六kmの被爆少女が世界に伝えたいこと』(コールサック社/2017)という被爆体験記があります。著者は、広島原爆の被爆者である詩人の橋爪文(はしづめ・ぶん)さん、94歳。国内だけでなく海外でも被爆体験を伝え、核廃絶を訴え続けてきた方です。
あるきっかけからこの本の読書会を企画し、2024年10月から月1回のペースで実施しています(全7回)。メンバーは、小田原にある「寄宿生活塾はじめ塾」で学ぶ中高生7人と、橋爪さんのことを教えてくれた映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんと私。それから、ときどき顔を出してくださる、はじめ塾の塾長・和田正宏(わだ・まさひろ)先生。大人は3人とも50代です。
いま思うと、企画趣旨としていた「原爆や戦争について“情緒的な話”で終わらせず、自分の日常と地続きにして日々考え続けていく人を増やす」は、とてもおこがましいものに感じられます。そうあってほしいというのはもちろんですが、大事なことは、この本を通して、みんなで楽しみながら学ぶことなのだと思うようになりました。転がっていく方向に進めていけばいいのかなと。
今後、この読書会の詳細はnoteか何かで公開していきたいと考えています。
その前に、この本に出合ったときから今日までを振り返ってみようと思いました。
日本の古い慣習や生活文化、人間の強さも教えてくれる本
共通の知人を介してつながった、映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさん。『祝の島(ほうりのしま)』『ある精肉店のはなし』という、人の心の機微に丁寧に目を向けたドキュメンタリー作品を生み出しています。
あやさんに2回目に会った2023年5月18日のことです。
「5年前から文さんのことを撮り続けていて、撮り溜めたものをどんなふうにまとめるかは模索中なのだけれど、映像と出版物で展開できたらいいなと考えていて……」と相談を受けました。そして手渡されたのが、『8月6日の蒼い月』でした。
聞けば、あやさんにとって橋爪さんは、親しい友だちのようなお母さんのような、言葉では表現できない特別な存在なのだそう。想像を絶する体験をしていて、病気や心の傷を抱えながら忍耐強く生きてきたのに、それを感じさせず穏やかで、年齢を感じさせない瑞々しい感性をもち、スポンジのように何でも吸収していく柔軟な人。
そんな橋爪さんに強く惹かれ、「会いたいな、また会いたいな」を積み重ねてきたのだそう。
それでさっそく読んでみると、この本は壮絶な被爆体験を伝えてくれるとともに、日本の古い慣習や生活文化、生活の知恵、人間の強さなどを教えてくれる“暮らしの記録”でもあると思いました。むしろ、私にとっては後者のほうに興味が傾きました。何を食べて生き延び、どうやって日常を取り戻してきたのか。橋爪さんがこの本の「まえがき」に
過去に私が書いたものを、読んでくださった方々は、“暗さがない”、“多くの体験記とは全く違う”とおっしゃいます
と記しているように、“暗さ”を感じないから、そう思えるのかもしれません。
毎年、8月に黙祷はするけれど……
私は原爆や被爆者について、何を知っているのだろう――。
夏になると、NHKで放送される原爆や太平洋戦争などに関するドキュメンタリー番組を次から次へと視聴したり、原爆投下の日や終戦記念日に黙祷をしたりして、「戦争はしてはいけない、平和な世の中になるように」と願うものの、夏が過ぎるとその思いは薄れていく。何も行動していない自分。願うだけでは何も変わらないと、ずっと引っかかっていました。
それがこの本を読んだあと、原爆のことと現在報道されている問題がつながりだしました。たとえば福島での原発事故、エネルギーの選択、震災に見舞われた被災地の人たちのこと、ウクライナ戦争、など。
私にとっては、“1945年末までに、広島では約14万人、長崎では約7万4千人が亡くなったと推定” などと聞いたり悲惨な写真や映像を見たりするよりも、橋爪文さんという一人の日本人女性とその家族が体験してきたことを解像度高く知るほうが、心に響くものがあり、自分の日常の様々なことに、原爆という出来事を引き寄せてくれるのです。
それだけでなく、原爆についてこれまで見聞きしてきたことは表面的なことで、学校の歴史の授業などでは教えられてこなかった“知るべき事実”がたくさんあることも、この本は教えてくれました。
センシティブな話題も語らいやすい場で
その後もあやさんとこの件について話すなかで、橋爪さんの「若い人にバトンを渡したい(平和な世の中をつくるために自分で考えて行動できる人を増やしたい)」という願いから、若者に向けたものにしようということになりました。橋爪さんが被爆したとき14歳だったことから、「14歳くらいをターゲットにしてみてはどうだろう?」 とか。
「14歳くらいの子たちと読書会をしてみよう」と思い立ったのは、それから半月後の2024年4月27日。すでに橋爪さんの著書があるわけだし、著書を通して事実を知ることが、橋爪さんのバトンを受け取ることにつながるのではないかと。
そこで、私の数少ないコネクションを思い浮かべたときパッと現れたのが、はじめ塾でした。約100年の伝統をもつ学びの場で、学校に通う子もそうでない子も、寝食を共にしながら学んでいます。
以前、3代目塾長の正宏先生にお話を伺ったとき、自身の実感と体験を元に展開してくださる話が興味深く、とにかく子どもたちの自主性を重んじていることと、正宏先生が表情豊かに語る様子がとても印象に残っていました。“子どもの感受性を失っていない大人”、といったような。
きっとはじめ塾でなら、センシティブな話題についても「こんなことを言ったら不謹慎かも」とか「この話題はタブーだから避けようかな」などと考えなくてもよさそう――。そんな空気を感じるこの塾で実施できたら面白いかも、と思ったのでした。
さっそく正宏先生に相談してみたところ、快諾いただくことができました。そして実際に読書会をしてみると、想像していた通りはじめ塾は風通しのよいところで、子どもたちはみんな、感じていることを素直に、飾らず話してくれます。
読書会のあとの夕ごはんも楽しいひととき
読書会が終わると、子どもたちは夕ごはんに向けてテキパキと動きだします。勉強に使っている小さな机を組み合わせて長いテーブルをつくり、食事のセッティングをするのです。
台所から料理を運んでくる子、みそ汁やごはんをよそってくれる子、取り皿などを置いてまわる子……。
ありがたいことに毎回、あやさんと一緒に夕ごはんをご馳走になっています。
目の前にズラリと並ぶ、心躍らせてくれる料理の数々。つくってくださるのは、はじめ塾の食と台所を守っている麻美(あさみ)先生(正宏先生の奥さま)と、塾の子どもたちです。
食事が終わると、子どもたちは協力し合って、机を元の場所に戻したり食器を洗ったりします。
準備も後片づけも、それぞれが全体の様子を見ながら臨機応変に動いている様子。自分が中高生のときはこんなに気配りできなかったなーと、いつも感心させられます。
そして寝る前に、それぞれ机に向かって勉学に励むのです。
正宏先生は子どもたちに、「偉い人にならなくていいから、立派な人になってほしい」と伝えているのだそう。それを知って、納得。
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