『月刊ケアマネジメント』で連載している〈幸せのためのヒント〉。
6月号では、東京に住む被爆者のための相談所、一般社団法人東友会の相談員、村田未知子さんに伺ったお話を紹介しています。
40年以上、原爆が人間にもたらす被害を見つめ、差別や偏見と闘う被爆者たちと歩んできた、その道のりについて。
村田さんのことは、NHKのドキュメンタリー番組『こころの時代』で知りました。
“原爆の地獄を体験し、戦後も多くの苦しみに耐えてなお生きる人々に「人間の美しさ」を見た”と語っていたことが心に響き、相談員としての謙虚な姿勢に惹かれ、お会いしたくなりました。
朗らかで、おおらかな方。
それが、村田さんの印象です。
東友会に入所したのは31歳のとき。
それ以後、人生をかけてこの仕事に取り組んできました。
きっと、“気づいたら40年以上たっていた”、という感じなのかなと想像します。
優しさと情熱にあふれる役員たちに育てられて
かかわった被爆者一人ひとりのエピソードも興味深いものでしたが、特に面白いと思ったのは、被爆者である役員たちに“育ててもらった”と話していたこと。
役員たちはそれぞれ仕事をもっているから、普段は事務所にいられない。
当初、相談員が村田さんだけの“一人事務局”でした。
村田さんは業務を終えて帰宅してから毎日、事務局長に電話し、30分くらい報告や相談をしていたと言います。
困っていることを伝えると必ず、「あなたはどう思うの?」と問われる。
自分の考えを話すと「どうして?」と聞かれる。
それで考えを伝えると「そうだね」と聞いてくれて、「それも大事だけど、僕はこういう見方もできると思うよ」と教えてくれる。
「絶対に否定しませんでしたね、人の考えを」と、振り返ります。
そして、教えるのがとても上手だったと。
それもそのはず、事務局長をはじめ、役員には教師だった人が多かったのだそう。
当時、役員たちは「この人を早く一人前にしなきゃいけない」と、一生懸命に村田さんを育てようとしていたのだとか。
いまは亡き役員たちの優しさと情熱が、村田さん、そして東友会に受け継がれているように感じます。
私の横にはいつも 被爆者がいる
印象に残っている言葉は、
「私たちの世代にしかできないことですよね、被爆者から直接、話を聞いて一緒に生きていくことは。そういう時代に生まれ、こういう立場を与えていただいたのは、ありがたいことです。人間とは何かを教えてくれる、素晴らしい人たち。被爆者と一緒に生きるということは、私にとって誇りですね」
「落ち込んでいるときは必ず、被爆者が方向を示してくれたんです。『苦しいときは横に広げなさい』と言ってくれたりね。私の横にはいつも被爆者がいるんですよ、一緒に歩いていますから。それから悩んでいるときは、『そろそろ相談会に行ったほうがいいんじゃないの?』って声をかけてくれたり。区や市ごとにある被爆者の会で相談会が開かれていて、私たちは制度などの説明で顔を出すんです。そこに行くと元気になるんです、たくさんおしゃべりするから」
被爆者の高齢化が進むなか、村田さんは、数々の被爆者の“あの日”のことだけでなく、“その後”の人生についても伝えることができるキーパーソン。
もっともっと、いろんなところで講演活動をしていただけたらいいなと期待します。
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